VOL.12造反議員と明智の故郷
御承知の様に「亀岡」の城主は知将・明智光秀で、その娘は細川ガラシャである。
明智光秀といえば「敵は本能寺に在り」と織田信長に反旗を翻し、たとえ3日天下と呼ばれようともその座をひッくり返した言わば亀岡レジスタンスの元祖である。
そう、故郷・亀岡は「レジスタンス」の地なのである。
昔、若かりし頃。高校時代の恩師が「故郷・亀岡を綴る」と言う本を出版された。中には授業中に仰られていたエピソードも数多く紹介されていたのだが、拙僧が一番気にいっていたのは「何故、亀岡に住むのか?」の問に「レジスタンスの街だから」と応えると言う下りが在った。
小さな頃からの教えられたわけでもない「反骨精神」はここから由来していたのかと極めて納得し、それ以降反骨精神を持った亀岡市民を「明智の子孫」と称するようになった。
念の為に申し添えるが、直接血が繋がっているわけでは勿論ない。
その精神を受け継ぎ、レジスタンスに燃える気を持ち合わせた者と言う意味合いに於いて「明智の子孫」と呼んでいるのである。
そういった意味で国会をひっくり返したいわゆる「造反議員」の一人、前職・田中英夫は正にここ、亀岡市の首長から衆議院議員になり「郵政民営化」に反対し「造反議員」の烙印を押され、さらには自民党から「刺客」を送り込まれると言う、現世の「明智光秀」的な存在ではないのだろうか。
自民党京都府支部は今回の選挙が終息するまで休眠する。と、その活動を個々の党員の自主性に委ねるとした。勿論、そこには元自民党幹事長・野中広務氏との力関係も在るのであろうが、政府自民党に真っ向から刃向かう形に成ったのは間違いない事実である。
ここでお断りをしておけば、拙僧は自民党々員でもなければ共産党員でもない。今風に言えば無党派層ではあるが、決して無投派ではない。
前職・田中英夫を応援していたのは、個人的に交流を持っていて、たまに地元に帰ると忙しい中で「蕎麦」をすすりに来てくれる。食べながらも「どうしてる?」「英夫サンこそ大丈夫かいな?」と(敬語等使った覚えもないし、「先生」と呼んだ覚えもない)瞬間でも緩和に成ればとそのへんの「おっさん」扱いをする。
初めて来店する秘書や田中事務所の面々はその態度や言葉遣いに驚きの表情を隠せないでいるのだが、そんな事は知った事ではない。
前職・田中英夫が亀岡市の助役から京都府議にそして府議から市長に当選した時、誰もが「もう、気軽にヒデオさんとは呼べんなぁ」と思った矢先、当の本人が「何に成ろうが、田中英夫は『たなかひでお』やで、中身は変らんから」と市長でも先生でも無く『田中ひでお』宣言をしたのだ。
それ以来ずっと、「ひでおサン」で通し来た。そしてそれを決して咎めない。「誰にモノを言っているのか」とお首にも出さない。
難しい政策論議は解らないが、毎年晩秋に成ると玄ソバを求めて徳島の山中に入る。失礼ながら何故こんなところで暮らしていけるのか不思議なくらいの過疎である。
年寄り二人がひっそりと暮らしている家庭ばかりだ。片方が招零されれば残された者は街に住む子供が「一人暮らしは危ないから」と集落から居なく成る。いわゆる「限界集落」の代表である。日々の楽しみは2、3日おきにやって来てくれる郵便局員とたまに来る宅急便くらいのもの。
「上がってお茶でものまんせぃ」
宅急便のドライバーは上がらないし、身の上話も聞かない。ただ荷物を渡し判子をもらえれば先をいそぐ。
郵便局員は縁側に腰をかけ茶を飲みながら年寄りの話を時間が許す限り聞き、少し体調が思わしく無かったりしたら隣の家に「となりのジッチャン、ここんとこ調子よく無いようだでちょっと気ぃつけてみてやって下っせぃ」と声を掛けて梺へと降りて行く。
頼まれた隣人は夕方、電気がつく時間になっても暗ければそれとなく塩梅を覗きに行く。そんな日本の原風景がそこにはいまだに存続しているのだ。
これが民営化された郵便局でも可能なのだろうか?
都会は何一つ不自由なく暮らしいて郵便局の一つや二つ在っても無くても生活に支障は無い。しかし、過疎の山村は違うのだ。
郵政の民営化は反対してもいずれは民営化されるであろう。
しかし、今の法案には過疎に対する優しさや思い遣りは感じられない。東京が日本ではないのだ。都会の当たり前の便利さや24時間ブッ通しのサービスは過疎や山間部にはあり得ないのだ。
放っておいても過疎は数年から四半世紀程で自治体の型を取れなく成り消滅して行くであろう。同時にそれは悲しいかな、美味しいソバの産地の消滅でもある。
きっと、政府は消滅を速めたいのであろう。それを解っていても林道工事や河川の改修工事の公共事業だけが大きな収入源の山間部の過疎集落に於いては自民党に投票しなければ明日が食えないのであろう事を思うと、前職・田中英夫や造反議院の投じた青票は価値の在る反骨精神の現れであったのではなかろうか・・・
すくなくとも拓朗亭はそう信じていたい。
2005.09.12
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