VOL.005〜会者定離〜 深堂さんに捧ぐ
初めてお会いしたのは9年程も前になりますでしょうか、在阪のライタ−河村氏と御一緒に何かの取材に同行されて来られて否、情報源が深堂さんで河村氏が同行取材だったのでしょうか・・・
まるで生まれて初めて蕎麦屋の厨房を見た子供の様に食い入る様な目で愚僧の動きを見ておられましたよネ。その好奇心旺盛な少年の様な深堂さんの行動にチョット、いえ、驚いたのではなく、「ボクの食べる蕎麦、まだ出来ませんか?早く食べさせて!」みたいな、どちらかと言えば挙動不審的な焦りを感じた物です。そして深堂さん、貴方が私が打った蕎麦を初めて目の当たりにした時、河村氏に最初に投げかけた言葉を私は昨日の様に今でもハッキリと覚えています。盛られた蒸籠ごと持ち上げて「カワムラ、カワムラさん、い、いやこりゃスゴイですよぅ。ホンモノですよ」って仰られるや一気にずずっ〜とやっちゃいましたよね。
それから2時間位3人で永い蕎麦談義をしておつき合いが始まったのですよね。とにかく無頼の「麺喰い」で次に現れたのはその3日後でしたっけ?当時の愛車「ワーゲンゴルフ」でしたか(?)独特のエキゾストノートを響かせ「ざる3枚」を一気に平らげると「また来ます」とまるで何かの戦隊ヒーロー物の様に去って行く。そんな事が2、3回続き何時の間にか一緒に蕎麦ツアーにも参加して頂きましたよね。
愚僧は「藪そば」が苦手なのですが深堂さんは白も黒もみんなまとめて平らげていかれましたっけ・・・ですから深堂さんとツアーを組む時は蕎麦屋のチョイスが圧倒的に楽でしたね。なんせ「この店は挽きぐるみだから」とか「カラを模様にしてるから」と気を使わなくても一向に構わなかったのですから・・・でも後で結構「来てる」蕎麦屋もかなりの数でありましたよネ。
食べっぷりたるや、「生きる為に食べる」のではなく「食べる為に生きる」と言った処でしょうか。蕎麦屋仲間でもその食欲は評判でした。そう言えば手伝って貰ったのは「食べる」事だけではなくて毘沙門堂でのイベントや出張まで厚かましくもなくお願いしましたよね。ホント大助かりでした。
それから深堂さんを通じて色んな蕎麦屋とも知り合いになれましたね。
深堂さんが関西在の蕎麦屋に与えた影響って御本人が思っておられる以上にあったと愚僧は考えています。会社を辞められて仕事を探しておられ何処に落ち着かれるのかと思っていた矢先、「群馬に移住」と言って来られる…
群馬には愚僧が「前橋・大聖堂」と呼んでおります『会席蕎麦・草庵』さんとそのお弟子さんであり「箕郷・礼拝堂」と呼ぶ『せきざわ』さんをはじめとする手強い蕎麦屋がひしめき合っていますね。更には東京都心までも行動半径の中にスッポリと入りますよね。新天地での新しい人生の始まりは少し寂しい「さよなら」の向こう側。そしてまた、新しい「蕎麦屋行脚」がきっと深堂さんを待っている事でしょう。どうかお身体御自愛の上、素晴らしい人生の中盤をお楽しみ下さい。
2004.01.27
蕎麦食人 深堂sobasenさんへ
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