VOL.001〜豊かなる一日〜 肺癌からの復活
喧騒なる日々を抜け出し、日曜日の夕方にも関わらずその会場に足を運ばさせたのには、彼がもしかしたらもう「ステージ」には立てないのでは無いかと言う一抹以上の不安が仕事とそれを秤に掛けるのを辞めさせてしまった事が理由であった。彼がそこに「骨」を埋めるのならば最後のひとかけらは自らの手で、この目にその最後の勇姿をも焼き付けておきたかったし、或いは一つのオトシマエとしてそうすべきだと昔からきめていたから勝手な理由で店を休みそこに行った。
オーケストラは瞬間的にタイムスリップを我々に与えてくれた。その昔『大阪』は特別だった。彼が言う様に壮絶なる『熱気』と『狂気の沙汰』的要素を常に含みそのコンサートが開催される毎にそれらが膨らみ続けて一つの彼の『ツアー』への参加の型を形成して行った時代が在る。曰く「拓郎コール」「立てノリ」今で言う「ジャンピング」も我々が造り出したとまでは言わないにしてもかなり早い時期にそれらを彼のコンサートに取り入れて来た。言わば熱狂的な「大阪」のもっと詳細に言うならば「フェスティバルホール」の、空間を担って来たと言っても過言では無いし許されるであろう。
彼は歳を喰った。確かにそうだろう。しかし叉、我々も彼が云う様に歳を喰ったのだ。彼から発せられる言葉がメロディに融合された時、我々は確実に「自由な空間」を手に入れ彼のその息をより身近に感じ、その空気を共有する事で、或いはそこに身を置く事で瞬間的な空間を闊歩していたに過ぎないのかもしれない・・・。
「今日までそして明日から」をオープニングに病み上がりを感じさせないどころかまるで若返った様にちから強く唄いまくる。そんなに飛ばして大丈夫なのか?と、こちらの心配を他所にビッグバンドをバックに気持ち良さそうに「俺は元気だ。まだまだクタバラねーぞ」と聞こえて来る。心配して来たのに逆にまたぞろ元気を貰って帰る羽目なんだろうと途中で気が付く・・・。
いつもステージを見ていると唄と今までの人生がオーバーラップして来るタイミングがある。その日の会場の雰囲気に馴れたり、或いは決まった唄であったりするのだが、コチラのアドレナリンが適当に放出し始められるともう、幽体離脱的に昔であったりつい最近であったりに突然リンクされてしまうのだ。これとても一種の「感情移入」に過ぎないのではあろうが聴いていて涙が溢れそうな時がある。
そお云う意味ではこの日の「サマータイムブルースが聴こえる」は完全にアッチの世界に行ってしまっていた。きっとピアノの「エルトン永田」のソロがそうさせたのだろう・・・今もまだピアノソロの伴奏が耳から離れない。習って弾けるならば習ってみたいと思わせる程体中を駆け巡っている。しかもタチが悪い事に「できる事ならば消えずに鳴ってろ」と当の本人が思っているのだ。
彼の唄によって生かされ生きて来たんだと気付かされる瞬間。
それはとても幸せな事で、終了後の収まらぬ興奮は時間が刻々とそれを想い出に押しやって行くのに、その過去に変化しつつ在るはずのモノが今は大きな感動に変りつつある不思議さえ実感させられるのだ。今、死んで行く理由は見つからないし、人間を辞める気もさらさらないにせよ、「もう少し頑張って生きて行こう」と素直に思えるのだ。拓郎みたいに生きられなくとも、せめて拓郎に恥じない様に生きて行こうと・・・。
2003.11.02 グランキューヴ大阪にて
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