丹乃國蕎麦〜拓朗亭〜


■拓朗亭
〒621-0805
京都府亀岡市安町小屋場77-3
※亀岡宮脇書店様斜め向かいです。
TEL:0771-24-4334
MAIL:
taroutei@news.email.ne.jp
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フェードバック拓朗亭

拓朗亭のホームページにようこそ。零細店の超真面目なホームぺージとは掛け離れ、薬味を効かせたサイトです。(多分、否、そのように出来ればと…少々ブラックと、ピンク?も在ったりして…)他所のお店の紹介文は書けるのですが、「自分の店」と成るとうまく書けません。と、云うよりも欠点だらけで列挙してしまえばハンドル名での誹謗中傷、怪文書にした方が早いくらいで、これ、と云った物も無く。 「拓朗亭のホームページなのに、拓朗亭の事はほとんど載って無いんですね」と云われて「やっぱり、造らなイカンかなぁ」と重い腰をようやく上げかけたところです。

 拓朗亭が開業したのは、1985年7月今の場所です。当時85軒しか建っていなかったこの団地も今では2000軒を超えているようです。開店当初は「手打ちうどん」も出しておりました。覚えておられる往年の「拓朗亭ファン」のお客様もおられると思います。その後、バブル景気で建設ラッシュが始まり、毎日昼食に来られるのは、建設関係の労働者の皆さんや、資材を運ぶトラックの運転手、住宅会社の営業マン。それに一般のお客様が少し。毎日ですし、「うどん、そば」だけでは気の毒に思えて「定食」を少し設定したらハチャメチャになってしまいました。
 天麩羅定食だけだった物が、気が付けば、「味噌カツ」「から揚げ」「ハンバーグ」「海老フライ」「カキフライ」「ステーキ」そうそう、「わがまま御膳」等と云うのありましたっけ。ふと思うのは「何屋サンだろう?」と言う素朴な疑問。
 ようやく「蕎麦屋」に向けて再起動出来たのは開業8年目の事でした。お婆サンが使っていた石臼を探し出して来て復活させ、その原理を色々な角度から 捕らえながらの試行錯誤が2年近く続きました。開業10年目にして電動のデカイ石臼を譲り受け自家製粉に突入した訳です。

 翌年1月阪神淡路大震災があり、ちょうどこの時期「玄ソバから丸抜きを造っての自家製粉」と「手打ちうどん」とを両立させ、バランスを取る事に無理がかかり、「手抜きうどん」だたったり「手抜きそば」だったりと好からぬ方向に行く傾向が露呈しはじめたので、スパッと「うどん」をやめてしまいました。
 これは嫁さんよりも、顧客からかなり激しい抵抗を受けましたネ。うどんが食べたいから「やめるな」と、云うのではなく、「そば」だけでは経営が成り立つ訳が無い。結果的に廃業されれば楽しみにしている「そば」までも食べられなく成るから「うどんは続けるべきだ」と云うホメ殺しの様な筋が通っていて通らぬ抵抗がかなり有りました。

 時を同じくして、京都の「味禪」と云う「そば屋」が『野だてそば』の企画を持ち込んで来ました。名前も聞いた事が無い「そば屋」だったのですが、銀閣寺の「實徳」を巻き込んで、同年4月山科の毘沙門堂を借り開催に至りました。それはもう、地獄絵でした。とにかく11時30分から3時の間に200人が「そば」を食べられるようにすれば良かったはずが、当日は生憎の「雨」だった為その人数のほとんどが11時半には毘沙門堂の境内におられて一斉に「ハイっ」とチケットを係員に渡したのですから係員も、そば屋も、待てどくらせど出てこない「そば」を雨の中で待ち続ける客も瞬時にしてパニック状態に追い込まれてしまった訳です。


 罵声と激励が飛び交ううちに第一回の「野だてそば」は反省と改良点を残し執行猶予1年 を付けて終了。
 結局、この「野だて蕎麦」は3年続けて開催した後、休会と成ってしま いました。
見た目以上に準備期間が必要なのと、本来の目的であった「手打ちそばの普及」がある程度達成出来、少なからず、関西蕎麦ブームの一端を担ったのは事実だと思います。
元々、価値観を同じにしない「そば屋・蕎麦屋」が四軒一同に会し…等と書くと綺麗に聞こえますが、滅茶苦茶に個性の強いのが雁首を揃えて何かをしようとしたのですから、3年も続けば上等でしょう。又、機会が在ればと皆思っているかも知れませんがひとつ言えるのは、それぞれが「更に個性は強く成っている」事は覚えておいた方がよさそうだと云う事です。

 一方で、その3年間で関係した「そば店」は結構マスコミ誌を賑わしました。元々個性的な考えでそば屋を営業しているのですからメディアにとっては扱い易い素材だっただろうと思います。中には何も解らないで取材に来る方もおられてちょっと往生する事もあるのですが、これとても考え様で、「何も解らないライター氏に解る様に説明出来れば、何も知らない何万の読者に解る様に書いてもらえるのではなかろうか」と考えれば説明に熱も入ろうと云う物でしょう。時間を費やし熱弁を振るい、後日、発行された雑誌をみて愕然となった事が在ります。そこに印刷された「店主は饒舌」の文字…。先日、再び同じライター氏が4年振りに取材にこられたので笑い話にしておりましたが…。

 その、4年の間に拓朗亭は眼に見えない速さで進化(或いは退化?)して来たのだと思います。最たる物は増え続ける「弟子の店」と「石臼」で、当時は篠山の「一会庵」だけであった弟子が、右京区嵯峨越畑の村おこしで「まつばら」を開業。羽曳野に「乾」が、丹後大宮に「歌仙」が立続けに開業。それぞれが盛業を続けさせて頂いております。更に開業をもくろみ黙々と練習に励む「つわもの」が後を断たない状態です。もちろん中には挫折した者や、頭から「食べに行って見ていたらエライ簡単に、そば打ちやってるし、中休みは長いみたいやし、あれやったら俺でも出来るわ。思うて習いに来た」と云う輩までおりましたが、まぁ、こんな輩は2、3日で「こんなシンドイ事は毎日できん」と云ってお辞めに成られます。ただ、そば打ってもらってるだけなんですが…。
まぁ、御愛嬌でしょう。

 石臼は以前使っていた「ひこべい」では物足りなくなり、何社かのメーカー製のを見に行きましたが、ただ大きくて扱いづらく結局納得出来ず自分で企画する事に成りました。石は福島県で加工した物を、組み立ては近くの軽金属製作所と精密機械製作所の協力を得完成させました。メーカーさんのそれが扱い辛いのは立派すぎて不必要な部材が多すぎるのと、故障が生じた時、出来る限り素人が触れなくしてあるにもかかわらず遠隔地の為、修理までに日数がかかってしまい営業が出来なくなる恐れがあったからです。ですから、現在「拓朗亭」「まつばら」「乾」「五十弥」で稼働している石臼は皆兄弟です。至ってシンプルな造りに要所要所で精密機械的な正確さと石臼にもモーターにも負担を掛けない構造が1回転挽きで97.5%と云う驚異的な挽き込みを可能にした訳です。

 能力的なデーターを書けば、2kg/h 80メッシュ/97.5%と云うのが最高到達点です。通常は、1.5Kg/h 80メッシュ/95%ぐらいです。ただ、残念ながら販売を目的として造った物ではないので御留意下さい。
 とにかく、自分で企画した物は何をどおすれば、ああなる、こおなると全てを理解した上で触れるのが一番です。

 提供させて頂いております「蕎麦」は『御前更科』を除き全て店前の製粉室(手打ち場)で毎日必要分を挽いた物を、水だけでこね、手打ちしております。つまり、一般に、「生粉打ちと呼ばれる高度な技術を要する打ち方」なのですが本当は高度な技術は要りません。毎日打っていたら誰でも出来る事です。ただ、眼をつむっていても打てる様に成るには結構努力や忍耐力それに、基礎体温はどうしても必要に成ります。イヤ、基礎体力です。

拓朗亭